生産者・ワイナリー紹介

キンタ・ドス・ロケス

Quinta dos Roques

■ 伝統と革新の見事なバランス
■ ダンのヴァラエタル・ワインの誕生
■ トウリガ・ナショナル1996がポルトガルワインNo1に!
■ 世界のコンクールで数々の賞を受賞
■ ポルトガルの伝統 ダンワイン(DÃO)

伝統と革新の見事なバランス

キンタ・ドス・ロケスはダン地方の中心部ネラスの北東に位置し、エストレラ山脈の南斜面に40haの葡萄園を所有するワイナリー。年産17,000ケース(赤ワイン80%、白ワイン20%)を生産する。

前当主故マニエル・ロペス・ド・オリビエラ氏は、これまでの伝統的なワイン造りを継承するとともに、高級葡萄品種への植え替え、キンタワイン(生産者元詰め)の製造、 フレンチオークの使用等を次々と実施。現在の当主である、オリビエラ氏の娘婿ローレンソ氏と共にワイン造りの革新を進め、新たなダンワイン造りへの挑戦を続けてきた。

1997年にはロケスのワイナリーから30km東に40haの畑を有する、キンタ・ダス・マイアスを購入。マイアスでは2011年からオーガニック認定を受けている。

ダンのヴァラエタル・ワインの誕生

ダン地方では伝統的に数種の認定品種を使ってワイン造りが行われ、DOCダンの白ワインもエンクルザード種を40%以上と、 他の品種を混合することが義務付けられていた。

1992年、キンタ・ドス・ロケスでは初めて、エンクルザード種100%のフレンチオーク(225L)で発酵させた革新的な白ワインを製造。 このワインが各地で大きな反響を呼び、他の生産者も次々とエンクルザード100%のワインを造りだしたため、ダンのDO協会もこのワインをDOダンワインとして認めざるを得なくなり、 1998年ついにエンクルザード100%のダンワインが誕生した。

トウリガ・ナショナルがポルトガルワインNo.1に!

ダンでは、現在でも総生産量の80%~90%が協同組合や少数の大手醸造会社で生産され、 葡萄栽培家は自分達が作った葡萄を協同組合や大手メーカーに販売している。
多くの生産者が品質よりも収穫量を優先する中、前当主オリビエラ氏はキンタ・ドス・ロケスを引き継いだときに、ポルトガルを代表する品種ながら収量が少ない トウリガ・ナショナルを全畑の40%まで植え替えた。

そして、そのトウリガ・ナショナルのみで造られた、トウリガ・ナショナル 1996年がワイン&スピリッツ誌99年6月号の 「ポルトガル・ヴァラエタルワイン特集」で全出品アイテムの中の最高点(94ポイント)を獲得!
オリビエラ氏の先見性と、後を引継いだローレンソ氏の情熱が生み出したワインが、遂にポルトガルNo.1の栄誉に輝いた。 これを機にポルトガルのワイナリーは次々と単一品種のワインを生産するようになっていった。

そして1996年ヴィンテージの栄光から8年、トウリガ・ナショナル 2005年がインターナショナル・ワイン・チャレンジ2007年の ポルトガル赤ワインカテゴリーでトロフィーを受賞!
名実ともにポルトガルのNo.1の地位を不動のものにした。



◆世界のコンクールで数々の賞を受賞
インターナショナル・ワイン・チャレンジ2007年における、トウリガ・ナショナル2005年の ポルトガル赤ワインカテゴリーでのトロフィー受賞に続き、ガラフェイラ2003年がブリュッセル世界コンクール2008で金賞を受賞、キンタ・ド・コーレイヨ レッド2006年が インターナショナル・ワイン・チャレンジ2008年で銀賞、デカンター・ワールド・ワインアワード2008年で銅賞を受賞し、キンタ・ドス・ロケスの実力は 世界の注目を集めた。

「伝統と革新の見事なバランス」をテーマに造りだされる、キンタ・ドス・ロケスのワインはさらなる躍進を続けている。



◆ポルトガルの伝統 ダンワイン(DÃO)
古くからワイン生産地として有名なダン地方は16世紀には既にこの地を保護する法律が制定されていた。1900年のパリ万国博覧会でのワインコンテストで金賞獲得以降、良質なワイン生産地として知られるようになり、1908年にはポルトガル最初の原産地管理呼称(DOC)の 指定を受けた。

ダン地方では現在、年間約55,000kリットルのワインを生産、その内40%がDOCワインである。ダン地方は西方にある山脈により海風から守られる事と、花崗岩土壌により、 酸と糖分とのバランスに優れたワインを生み出すことで知られている。赤ワイン用の主要品種はトウリガ・ナショナル、ティンタ・ロリス、ジャエン、アルフロシェイロ・プレト、 白ワイン用ではエンクルザードが最も重要な品種とされている。

日本では作家壇一雄氏が氏の姓と同じ発音のダンワインを愛飲されたことでも知られている。 氏はポルトガルに1年4ヶ月間滞在し「火宅の人」を執筆されたが、その間「赤、白のダンワインを何百本抜いたことか」と随筆に記述するなど、ダンワインへは特別な 思い入れがあったことが伺われる。